『ウルトラヘヴン』って、どんな漫画?
▶ 動画のこの話へ 01:04まず、これは現実と幻覚の境界が崩れていく様子を、漫画の絵とページの流れで描く作品である。主人公が不思議なものを見るだけではない。その主人公の目を通して世界を見ているうちに、読者まで同じ場所に連れていかれるような感覚になる。僕がぜひ体験してほしいのは、そこなのだ。
作者の小池桂一先生は、1976年、16歳の時に手塚賞を受賞している。そんな若さから漫画を描いてきた作家が、物の形や世界の見え方を、ここまで自在に変えてしまう。圧倒的な画力を持った人が描く、かなり変わった漫画である。
単行本は1巻が2002年、2巻が2005年、3巻が2009年に発売された。僕が動画で紹介した時点では、3巻まで出ている未完の作品だ。完結してから一気に読みたいという人には、先にその事を伝えておきたい。僕自身、ずっと4巻を待っているのである。
書誌情報の出典:作者紹介:英語版出版社 Last Gasp / 1巻の書誌情報 / 2巻の書誌情報 / 3巻の書誌情報
薬物が当たり前の世界で、さらに危ないものを求める。
▶ 動画のこの話へ 01:45舞台は近未来の日本。この世界では、ほとんどの薬物が合法化されていて、気分や疲労感をドラッグでコントロールするのが当たり前になっている。テレビでは、リポビタンDのような名前の「リポパミンD」のCMが流れていたりする。普段見ている栄養ドリンクの広告みたいな顔をして、薬物が生活の中に入り込んでいるのだ。
街には「ポンプバー」という、薬物を調合してくれるバーまである。客に合わせて出されたものを、その場で使う。この場面の、カクテルを差し出すような自然さが、薬物を使う事が日常になっている世界をよく表している。

ところが、主人公のカブは、そんな社会でも違法とされる「ピーターパン」という薬物の中毒者である。大抵のものが合法になっているのに、それでも違法なものを常習的に使っている。最初から、なかなかとんでもない主人公なのだ。
ある日カブは、ピーターパンの治療薬を開発する過程で、かえって数倍の幻覚作用を持つ薬物ができてしまい、それが出回っているらしい、という噂を耳にする。治療薬を作ろうとして、もっと強烈なものができてしまう。何をしているんだ、という話なのだが、カブはそれを聞いて怖がるような人間ではない。むしろ「使うっきゃないっしょ」というテンションなのである。
そして公園で、見知らぬ売人からピーターパンだと思って譲り受けたものが、その噂の薬物「ウルトラヘヴン」だった。それを使った事で、カブは現実と幻覚の区別がつかなくなっていく。ここから、あのとんでもない読書体験が始まる。
「今いるの、どこだ?」が、読んでいる僕にも起きる。
▶ 動画のこの話へ 02:46あらすじをものすごく雑に言ってしまえば、薬物を使った主人公が幻覚を見ている話である。しかし、その幻覚を、とても壮大に、圧倒的な画力で描いている。たったそれだけの説明と、実際に読んだ時の感覚の間に、とんでもない距離がある漫画なのだ。
例えば、さっきまで見えていた物の輪郭が、少しずつ歪んでいく。最初から全く知らない世界が描かれているわけではない。見えていたはずのものが、グニャグニャと変わって、元の形が分からなくなってしまう。街の風景を追っているだけのつもりが、いつの間にか、そこにあるものを信じられなくなる。

公園にいたと思ったら、次の瞬間には別の場所にいる。カブが今見ているものは幻覚なのか、それとも現実なのか。僕たち読者にも、その境目が分からなくなっていく。主人公が混乱している様子を外から眺めているだけでは済まないのである。
一枚絵の迫力も、もちろんすごい。ただ、強烈な絵を一枚見て「すごいね」で終わる漫画ではない。ページをめくるたびに展開が変わり、絵が変わる。その変わっていく過程そのものが、この作品の面白さなのだ。だから「あらすじが面白そうか」「ストーリーはどうなのか」という物差しだけでは、僕はうまく薦められない。実際にページを追って、あの感覚を味わっていただきたい。
輪郭があるはずのものから、輪郭がなくなっていく。
▶ 動画のこの話へ 03:40僕が持っている1巻の帯には、「最上級のペーパードラッグ」と書かれている。読んでいると、まさにその言葉通りの作品だなと思う。紙に印刷された絵を見ているだけなのに、自分が知っている世界の形が、どんどん頼りなくなるのだ。
言葉で説明しようとすると難しいのだが、物と物の境界が溶けていくような感じがある。顔なら顔、目なら目と、それぞれ別のものとして見ていたはずなのに、その区別が崩れてしまう。ここに載せた場面も、目や口が繰り返され、顔の形がどこまで続いているのか分からなくなっている。細かく描き込まれているのに、描かれているものをつかまえられない。

あまりこういう例え方をしたくないのだが、昔のAIが作った、犬とパスタの境目が分からなくなるような、グニャグニャした画像を思い出した。あの、見えているものの分類が途中で変わってしまうような感じである。もちろん、この漫画が描いている世界をそれだけで説明できるわけではないのだが、僕が感じた不思議さに近いものがあった。
普通、絵を描く時には「よく観察して、輪郭を捉える」という話をすると思う。ところがこの漫画では、捉えようとした輪郭そのものがなくなっていく。見たものをそのまま描いただけとは思えない崩れ方をしているのだ。小池先生には、世界がどう見えているんだろう? 読んでいると、そんな事まで考えてしまう。
幻覚の先に、精神世界の話が待っていた。
▶ 動画のこの話へ 05:18ここからは3巻の展開に触れます。展開を知らずに読みたい方は、試し読み・購入先の案内へ。
そして1巻、2巻、3巻と読み進めていくと、瞑想やチャクラといった、精神世界の要素がどんどん強くなっていく。最初は薬物を使って幻覚に飲まれていた話が、意識そのものの話に近づいていくのだ。
作中では、薬物を使う事で脳のリミッターが外れ、チャクラが開いて、超能力のような力を使える、という方向に話が進んでいく。主人公のカブは、もともとは薬物に溺れていた男なのに、ピーターパンの度重なる使用とウルトラヘヴンの体験によって、とんでもない精神力を手にしていく。
相手の精神を操るほどの力を持った人物まで、カブは凌駕してしまう。僕の雑な言い方をするなら、「薬物に溺れていた人間ほど強い」という、とんでもない世界観になってくるわけだ。ぶっ飛んでいる。
そこで出てくるのが、人間が知覚しているものは本当に外の世界に存在しているのか、自分の意識の中だけのものではないのか、というような話である。これまで絵の中で起きていた「何が現実なのか分からなくなる」という感覚が、物語の話題としても、どんどん深くなっていく。
僕は、巻を追うごとにそちらへ近づいていく感じが、ちょっと怖かった。絵だけでも十分に常識を揺さぶられているのに、今度は世界の捉え方まで、足元から崩れていくようなのだ。それでも読むのを薦めたくなるくらい、他では味わえない漫画なのである。
気長に待つか、と思っていたら、大人になっていた。
▶ 動画のこの話へ 04:41
ただ、この作品には、読む前に伝えておいた未完という問題がある。3巻の終わりには、まだ先が気になるものが出てくる。「こいつは誰なんだ?」「顔が見えていないけど、重要そうだぞ?」と、続きを読みたくなるところで、ずっと止まっているのだ。
僕がこの漫画を買ったのは、確か2014年、高校1年生くらいの頃だった。その時点でもう「4巻、出ていないな」と思っていたのだが、前の巻までも数年ずつ間が空いていたので、今回は少し遅くなっているんだろう、と考えていた。
「まあ、気長に待つか。」
そう思っていたら、学生だった僕が、すっかり大人になってしまった。ちょっと待ってくれ。気長に待つとは思ったけれど、ここまで待つとは思っていなかったのである。
1巻の帯には、長い歳月を経て作家が復活した事を伝える言葉も載っている。それを見ながら、今度の復活はあるんだろうか、と考えてしまった。物語はこの先どうなるのか。あの最後に出てきた人物は何者なのか。気になるものが、そのままずっと残っている。
小池桂一先生、4巻が早く読みたいです。本当に。
この読書体験は、実際に読んでみてほしい。
▶ 動画のこの話へ 07:06ここまで書いても、やっぱり『ウルトラヘヴン』を言葉だけで説明し切れたとは思えない。何が起こるかは説明できても、絵が変わっていくのを目で追った時の感覚までは、なかなか伝えられないのだ。
僕は、この漫画を読んで、現実の薬物をやってみてほしいわけではない。動画でも言ったけれど、そこは『ウルトラヘヴン』で満足していただきたい。薦めたいのは、この漫画でしか味わえない読書体験である。
続きが気になるまま待つ事にはなる。それでも、ページをめくるたびに見えている世界が変わっていく感覚を、ぜひ味わってみてほしい。電子書籍の案内も出ているので、気になった方は作品ページから試し読みや購入先を見ていただければと思う。僕はその間も、4巻を待っています。
書誌情報の出典:電子版の案内:KADOKAWA『ウルトラヘヴン1』
『ウルトラヘヴン』の試し読み・購入先へ ↗

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